アニメ・マンガ

【アニメ】メイドインアビスは面白いを突き詰めた人生の究極形態③


 

アニメ、マンガオタクのはるたぬきです!

 

この記事は前編、中編の続きです。まだ読んでいない方はこちらのリンクからどうぞ!
 

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「メイドインアビス、自由に生きるキャラたちの自由と代償~前編~」
 

「メイドインアビス、自由に生きるキャラたちの自由と代償~中編~」
 

キャラたちの生きる意味

 

ナナチ、登場!

 

リコとレグの冒険は困難に次ぐ困難が待ち受けていました。 

ネタばれになってしまうのでくわしくは書きませんが、何度も「もうダメだ!」と思わせられ、読んでる人の方がメンタルやられてしまうんです(笑)
 

それでも、リコの料理テクとアビスに関する知識、レグの身体能力でもって数々の試練を乗り越えていきます。
 

しかし、そんな2人でもどうしようもない困難が待ち構えていました。
 

リコは捕食動物に襲われ、毒とアビスの呪いのダブルパンチという絶体絶命のピンチに。
 

死にゆくリコに、レグは傍らで死なないで、と泣き叫ぶほかない状況。
 

そんな絶望から2人の元に現れたのがまるでウサギのような姿をしたナナチでした。ナナチは自らを「成れ果て」と呼び、瀕死のリコを助ける手術を買って出るのでした。
 

ナナチのおかげで、リコは一命をとりとめることができ、やがてレグはナナチの壮絶な過去を聞くことになります。
 

遠い地で乞食暮らしをしていたナナチは、ある探窟家に連れられてこのアビスにたどり着いたこと。
 

旅の途中で唯一無二の親友となるミーティと出会ったこと。
 

ナナチとミーティは探窟家によって非人道的な実験に巻き込まれたこと。
 

ミーティは不死身になった代わりに人としての心を失い、バケモノのような姿にされてしまったこと。
 

そして、ナナチはミーティの「殺して」という最後の約束を果たそうという、たった一つの目的のために、今まで生きてきたこと。
 

他のことに目もくれず、でいいのか?

 

ナナチだけでなく、現実の世界でも、ある特定の側面に固執しすぎている人が少なくないのでしょうか。
 

例えば、ワーカホリックな考えを持つ人が、家庭や健康を顧みずにただひたすら仕事に没頭する。
 

ネットとアニメが見放題な自室にこもりっぱなしで、大学どころか部屋の外にも顔を出さなくなる学生。
 

就活がめんどくさくて、「とりあえず」大学院に進学してモラトリアムを延長する学生。
 

自分はラクロスを頑張っているから価値があると思い込み、その他の生活を自堕落に過ごす人。
 

確かに、好きなものに全身全霊で取り組むこと自体、その人の才能であり幸せであると思います。
 

ただ、中には自分の興味が集中するあまり、視野狭窄になっている人も、中に入るんじゃないかなーということが言いたいんです。
 

ナナチは、必殺技を持つレグに、ミーティを殺すよう依頼します。
 

レグの技をもってすれば、不死身のミーティでも命を絶つことができるだろうと。
 


 

ミーティを殺してくれ、と依頼したナナチの本当の気持ちとはいったい何でしょうか?
 

ミーティとの約束をやっとかなえることができる、という満足感?
 

様々な殺し方を試してみたけれど、ミーティを苦しませるばかりで終わってしまった日々から解放される、という安堵感?
 

これは僕の推測ですが、ナナチは心の奥底では「ミーティの問題が解決すれば自分が生きる意味はない」と考えていたのではないでしょうか。
 

(実際、リコの治療が終わったらナナチは自殺しようと考えていたことをほのめかす描写があります)
 

人生のすべてを、全力で生きる

 

アビスの呪いが結晶化したとも言えるミーティを殺す、というのはかなりの無理難題だったのでしょう。
 

ナナチは、唯一無二の親友を、呪われた生から解放すべく様々な手を打ってきました。
 

手を打つも失敗を繰り返す日々の中で、ナナチの生き方は「ミーティ」というたった一つの対象にしか向かなくなってしまっていました。
 

ナナチまで極端ではないけれど、現実には一つのことだけを切り取って他を捨ててしまったような生き方をした人たちが少なくないかもしれません。
 

でも、考えてみてください。
 

ミーティがいなくなったら、ナナチには生きる価値がなくなってしまうのか?
 

ただひたすらに仕事に没頭して、仕事ができなくなったら後は意味のない生になってしまうのでしょうか?
 

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「勉強ができなくて馬鹿にされたら嫌だ」「失敗して人から見下されるのが嫌だ」
 

といった目的があるからこそ、自分は他のことをしなくてもいいということが正しいのか?
 

(仕事をしているから、ラクロスをしているから、他のことをしている暇はないと正当化する)
 

答えは、否
 

誰にも縛られず、自分の意志で生きることは大いに結構ですが、人生のある特定の部分を特別視する生き方は、胸を張れる生き方ではないのです。
 

仕事も、ラクロスも、そしてミーティも、あくまで人生の一部分にすぎません。
 

生きていく上で発生するあらゆる人間関係の問題から逃げない。生きている時間すべてを全力で生きる。
 

真の幸せは、胸を張って他の人に言える生き方にこそ宿るものではないでしょうか。
 

そこにいるだけで価値がある

 

結局、レグはミーティを殺すことを承諾し、回復したリコ、レグ、そしてナナチは新たな冒険の旅に出ることになります。
 

レグは、ナナチの頼みを聞く代わりに、「自ら命を絶ったりしないで」と約束させます。
 

ミーティの問題を片づけたら死ぬつもりだったナナチ。なぜナナチは、リコやレグと生きることを決意したのでしょうか?
 

それは、ナナチが”自分”という存在そのものに価値を見出したからではないでしょうか。
 

見ず知らずのリコの命を救った時、レグはナナチに「ありがとう‼」と泣き叫んで感謝していました。
 

「ありがとう」という言葉を言われてうれしくない人なんていませんよね(笑)
 

それは、「ありがとう」と言われた人は、「自分は他の人に貢献することができている」という実感を持つことができるからです。
 

この貢献感こそが、人の本当の幸せではないでしょうか。
 

そして、レグの「自ら命を絶ったりしないで」という言葉は、「ナナチの存在がなくなってしまったら悲しい」という意味にも受け取れます。
 

つまり、レグはナナチのことを「存在しているだけでうれしい」と思っているのではないでしょうか。
 

もちろん、リコとレグは互いに互いのことを「かけがえのない存在」だと思っているはずです。
 

また、3人で旅に出た後にはリコとナナチも互いのことをかけがえのない親友になっていることがわかります。
 

こうしたことから、ナナチは「自分が存在しているだけでうれしいと言ってくれる人たちに出会えたから」こそ、自殺を思いとどまり、自分の問題から逃げない生き方を選ぶことができたのではないでしょうか。
 

このような「対等な関係」を構築できれば、人間関係のお悩みってぐっと減って来るんじゃないかな?というのがはるたぬきの提案。
 

では、どうやったら対等な関係を築けるのか?
 

お気づきの方も多いでしょう。まずは「ありがとう」って言ってみること。
 

「ありがとう」と言われれば、自分の行為ではなく存在そのものに価値があることがわかる。
 

自分にも、他の人にも、違いはあるけれど価値がある。
 

そう思えるような関係が築けたら、人生はずっと幸せになりそうな気がするのです。
 


 

後編とか言っておきながらまだまだ続きます!To Be Continued!!

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ABOUT ME
はるたぬき
大学でラクロスを始め、京大大学院に進学を決めたたぬき。「面白きことは良きことなり」を合言葉に、今日も卒業研究に熱中している。

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