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博士進学と研究に向いているかは関係なくない?と思った

はるたぬき
はるたぬき
私は研究者に向いているのだろうか?

修士の学生で博士課程に進学を悩んでいる人が必ず向き合っている問題だと思います。ご多分に漏れず、私も今この瞬間悩んでいます。

「研究 向いている人」とかでネットで検索すると、向いている人や向いていない人の特徴をまとめた記事をたくさん見ることができます。

まあ、博士課程を視野に入れている人の中で「自分は研究者としてやっていけるだろうか」と悩む人が少なからずいらっしゃる、ということの証左だと思います。

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ではこの記事の目的も「研究に向いている人」の定義を提案し、議論するものか、と言われるとそうではない。

「研究者に向いているかどうか?」、ではなく、「研究を通じて幸せになれるか?」という問題に置き換える。

この記事は、ちょっと違った視野から博士進学について考えてみようと思います。

研究が楽しい人は幸せである

自分がしていて楽しいことは十人十色である。

人と人は違うのだから、趣味も思想も違っていて当然ですよね。

大学院まで進学した人の中でも、研究をするのが大好きな人もいればそうでもない人もいるのが自然というものでしょう。

研究が好きな人というのは、(少なくとも自分の中では)自分の研究には考える価値がある、ということを半ば確信しているはずです。

価値があるからこそ熱中できるのだし、のめりこめるし、次々と素晴らしい成果をだすことが可能になるのだと思います。

好きなものがある人も幸せだよね

でも、研究をしている人だけが幸せなわけではないですよね。だって、世界中で見たらむしろ研究者なんてごくわずかな存在だし、研究以外のことが好きな人が幸せになれないわけがない。

スポーツをするのが好き、小説を書いているのが好き、ピアノを弾いているのが好き、などなど。

自分のしていることに価値がある、と感じているからこそ「好きなもの」であるんですね。

「研究が好き」ならそれでいいのか?

博士課程を経験した人に話を聞いたら、たぶん大多数の人が「自分の研究が好き!」と答える人が多いのではないでしょうか。(まあ当たり前だとは思いますが)

でも、私みたいに進学か就職か悩む学生からすれば、「好きならばそれでいいのか?」と感じてしまう。

「博士課程に進学して、うまく成果を残していけるのだろうか?」

「途中で研究を挫折してしまわないだろうか?」

「博士号を取った後で、大学のポストないしは企業の研究職に就職できるのだろうか?」

だから「研究 向いている人」で検索して、自分は研究者の素質を持っている、と担保する理由を探しているというわけです。

それでは、ネット検索の結果「研究に向いていない」と思ったら博士をあきらめてしまっていいのでしょうか?

よくわからないけど偉そうな人に言われたから、という理由で進学か否かを決めてしまっていいのでしょうか?

「自分の道」を他人の言葉に委ねてしまうのは楽ちんですが、それはある種の思考停止状態ではないですか?

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「研究者に向いているか?」は結局ソユコト

問題の本質は研究者の素質の有無ではなくて、研究を通して「幸せ」を実感できるかどうか、そう信じることができるかどうか、ということではないでしょうか。

研究が楽しくてどんどん新しい成果を出していくことができれば確かに幸せです。

しかし残念なことに、思ったように研究が進む、ということのほうが少なくて、むしろうまくいかないことのほうが多い。(博士の方から聞いた話によれば)

次に何をすればいいのかわからず、八方塞がりに感じる毎日。さらには、研究室の運営や後輩の指導、研究室外の人との付き合いなども少なからず絡んでくる。

思ったような成果が出ずに、自分が思っていた未来とは異なる方向に行ったとしても、自分は幸せだ、と思っていることができるのでしょうか。

自分にできることだけに集中する

「嫌われる勇気」(岸見一郎、古賀史健 著)には、「すべての悩みは人間関係の悩みである」という言葉が紹介されています。

相手が自分の思い通りの行動をしてくれなかったり、自分のことをバカにしたりする。また、自分の価値を実感できずに苦しむ。

こうした人間の悩みはすべて、他人がいるからこそ生じる悩みなのだと、アドラー心理学では考えているようです。

でもって自分ができることと言えば、相手がどう考えるか、に着目するのではなく、「自分に何ができるのか」ということに集中することだと言えます。

他人が自分のことをどう考えるかは「他人の仕事」であり、これからどうするのかを考えることが自分にできる唯一のことだからです。

例えば、「博士課程に進学して、うまく成果を残していけるだろうか?」という悩みも、結局のところ「成果を出せないことで馬鹿にされるのが嫌だ」「無能と思われたくない」という他人との関係に収束するわけです。

自分にできることは、成果が出ない状況からがむしゃらに脱出しようとあがくことのみであり、操作できない他人に執着することではない、ということなのです。

博士に行くか否かは自分にしか決められない

結局私が博士に進学した後の将来に不安を抱いていることの原因は、すべて人間関係に起因することだ、ということがわかりました。(後日その話をまとめていきたいと思います)

仮にそうした問題を自分の中で折り合いをつけられたとして、自分は博士に進学することで幸せになることができるのか?ということが重要になってきそうです。

自分の研究成果がいつの日か報われる来ると信じることができるのか。たとえ思うような成果が得られなかった場合でも、自分以外の誰かに貢献することができた、と自信をもって言うことができるのか。そう信じることができるか。

凡庸な答えではありますが、「博士に行くかどうかは自分にしか決められない」というのが私の結論です。

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ABOUT ME
はるたぬき
大学でラクロスを始め、京大大学院に進学を決めたたぬき。「面白きことは良きことなり」を合言葉に、今日も卒業研究に熱中している。

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