ライフ

京都大学に2回不合格になって気づいた、自分が幸せになれない理由

私は高校3年、さらに浪人の冬に京都大学の入試を受験し、2回とも不合格になりました。

「理学部に行って宇宙の研究をしたい」と思って始めた京大受験の準備は、京大合格という点で実を結ぶことはありませんでした。

もしも当時の自分のような勉強の質、量で京大に合格しようと息巻いているのを見たら、よほど受験を知らない甘ちゃんだなあ、と思ってしまうくらい(笑)

浪人の年のセンター試験で得点率が7割を割ってしまい、京大の2次を受ける前に門前払いを食らってしまうほどだったので、合格できなくて当然でした。

スポンサーリンク

(京大理学部はセンターで7割以上の得点率のない受験者は2次試験を受けることができません。なので代わりに受験が可能な農学部を受験しましたが、もちろん不合格)

受験勉強もしていてつまらないし、受験当日まったく歯が立たなくて完敗して、それでいて覚悟を決めていたはずなのに合格発表直後に号泣して。

カッコ悪いことこの上ないんですけど、それ以上にかっこ悪かったのって、できないこと、してないことを「できる」と虚勢を張って、自分を大きく見せようとしていたことだったんです。

さらに言うと、周囲に嘘をつき続けると絶対に幸せになれないなあ、とすごく実感しました。

そういう人を見ていても「ぜひ応援させてくれ!」と思う人はいないと思うし、自分が疲弊していくだけなんですよね。

まずは当時の自分の成績を確認

■高校3年間、浪人1年を通じて京大模試の成績はすべて最低のE判定

■現役時のセンター試験の得点率は72%、浪人時の得点率は65%くらい

■浪人時の数学Ⅱ・Bは32点と大転倒

■2回の受験とも、京大合格最低点から100点以上下回る成績(成績開示時の結果)

■私立大学のセンター利用は、数学Ⅱ・Bを利用しない1個だけ合格。一般入試で別の大学に1個合格。(その後この大学に入学、卒業に至る)

ちなみに、高校時代の成績は理系クラスの中の下でした。

理系科目よりも文系科目(国語、英語、日本史B)の方が得点率が良かったです。模試の時に冗談のつもりで某文系大学の名前を滑り込ませたほうが判定よかったですもん…

結局理系を貫き通しましたが、浪人時の受験直前に文転を画策し、出願しようとしたところ予備校から親に連絡が回り、親と大乱闘スマッシュブラザーズ状態に突入したことがありました(笑)

当時の自分の勉強法の何が悪かったのか?

高校時代の勉強不足も大きな要因だったのですが、京大に合格できなった1番の理由は「高校の勉強の基礎となる部分を理解していなかったこと」。これに尽きると思います。

当時の自分の勉強の大まかな流れは、

・センター・2次の過去問を「自分の力で」解いてみる
            ↓
・解答、解説を眺めて解き方を覚える
            ↓
・解法、必要な知識などを教科書や参考書で確認する

の繰り返しだったと思います。

受験勉強を過去問から入るのは、「最初に合格に必要な勉強量、受験当日に何ができるようになっているのか」を把握する、という意味では効果的なのかなと思います。

どんな知識が自分の引き出しにあって、それをどのように組み立てて解答に結び付けるのか、を自分の中で想像できる人は、受験当日どんな問題が出ても粘り強く解くことができます。

(これは東大に合格した友人が話していたことなのである程度真理なのかなあと)

ただし、僕の勉強法でよくなかった点は「知識を引き出しから持ってくる訓練(=復習)をほとんどしなかった」ということです。

スポンサーリンク

数学Ⅱでベクトルの問題が出たときに、どんな知識を根拠に、どう思考を進めたのかを、後日覚えているか?しかも、それが反射的に出てくるか?というレベルで出てこないと、受験当日で意味がない。

なんだか予備校の講師っぽく説教を垂れてしまったのですが、受験で失敗した僕から言えることは以上です。

受験生時代で一番不幸だったこと

さて、本記事の本題に入りましょう。

受験勉強にも身が入らず、毎日を無為に過ごしていた当時の僕が幸せになれなかったことの一番の理由。それは、「”不合格”になるという不幸を無意識に欲していたから」なんだ、と今の自分は解釈しています。

合格したくない受験生なんているわけないだろ!と思われるかもしれませんが、当時の僕は、無意識に「合格しないほうが自分のためになる」と半ば本気で考えていたように思います。

模試が終わるたびに不機嫌な顔で家に帰り、むすっとしたまま自分の部屋に籠ってしまう。

(ちなみに、当時の僕は受験した模試やセンターの出来について、先に話した”文転未遂事件”以外、親に話をしたことがありませんでした。)

そんな様子の息子を見ていて、世にいるたいていの親はどう思うか?

おそらく、子供が何を悩んでいるのかわからず、心配になったり不安になったりすると思うんです。

つまり、悪い意味で自分のことを気にかけてくれる。勉強ができない、劣等生の自分を腫れ物のように、丁重に扱ってくれる人間がいる。

「京大受験しようと思ってるんだけどねー」と周囲の友人に言えば「お前すげえな」「がんばってるな」と言葉をかけてくれる人がいる。自分のことを認めてくれる人がいる。

「自分はほかの人とは違う、スゴイ奴なんだ」と思うために、他人の承認に飢えて、求めてばかりの人間。

それが当時の「僕」という人間でした。京大受験も、他人とは違う、優秀な人間と周囲から認められたい、という安直な理由でしていたにすぎないのかもしれない。

他人から認められることに執着して、結局自分の中で本当にやりたいこと、願いが思いつかず、誰かが敷いたレールの上でしか生きられない人間でした。

他人にも自分にも嘘をつく生き方はもうやめよう

なんだか某有名アニメ映画のセリフみたいになっていますが(笑) 嘘をつき続けることとは、知らず知らずに不幸を求める生き方だと、僕は確信しています。

勉強の成果が出ていないこと、成果が出るような勉強を実践していないこと。これは自分が一番よく理解しているはず。

自分がそうしたことをできていない、という現実を拒み続ける限り、不幸なことがなくては生きられない生き方を続けることになります。それは僕の経験上、とてもとてもつらいことです。

例えば、僕が「京大受験したけど合格できなかったんだよねー」と周囲の人間に話すと、優しい人は「それは残念だったね」と共感してくれます。

見方を変えれば、「京大に合格できなかった」という”不幸”を使って周囲の人間の言動を自分の都合の良いように束縛することになります。

相手は一応、それなり自分のことを気にかけてくれるし、京大に挑戦していた”それなりに優秀な人間”という見方をしてくれるかもしれない。

そうなると、もはや過去の不幸を忘れ去るどころか、ことあるたびに切り札として持ち出すことになる。さらに、不幸になることが自分の”ため”になるのだから、もっと不幸な目に遭ってやろう、と少なくとも無意識のうちにそう決意することになります。

本当は幸せになりたいはずなのに、その手段として不幸を持ち出し、必要としてしまう。

それじゃあ幸せになれるわけないよね。

スポンサーリンク
ABOUT ME
はるたぬき
大学でラクロスを始め、京大大学院に進学を決めたたぬき。「面白きことは良きことなり」を合言葉に、今日も卒業研究に熱中している。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です